ハンナ・アーレントから考える悪の本質と全体主義が生まれたプロセス

経済の低迷、少子高齢化に伴う医療・福祉制度の不安定化、国際緊張の高まりに年金問題など、日本の閉塞感を伝えるニュースには事欠きませんが、みんな何となく将来に希望が持てず、もやもやした不安が広がり、それを打破してくれる強いカリスマを求めるメンタリティが高い昨今。

どうやら今の時代は全体主義傾向が拡大していった時代と重なるらしく、ハンナ・アーレントの本が読み返されたり、映画がブームになったりですが、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」と「エルサレムのアイヒマン」は全体主義の考察や悪の本質について重要な著書の一つ。

特に「エルサレムのアイヒマン」では、ユダヤ人殺害の効率的なシステム構築・運営に主導的な役割を果たしたアドルフ・アイヒマンを「陳腐な悪」と評した通り、人が想起する悪(普通ではない、何か特別なもの)とはかけ離れており、分業が進んだ現代社会で思考停止した人生を歩んでいると、誰でもアイヒマンになり得るとの指摘には色々考えさせられます。

本書のあらすじ

先が見えない将来ですが、まず自身が置かれた状況変化をきちんと把握し、安易に分かりやすい説明や世界観を求めない姿勢が大切なのですが、それを考える上でアーレントの著書「全体主義の起源」と「エルサレムのアイヒマン」が参考になると二冊を推薦されています。

全体主義は三部構成の一冊で刊行され、反ユダヤ主義→帝国主義→全体主義の流れを理解、アイヒマンに関しては悪の本質について常識を覆す話を、それぞれ歴史的背景を交えながら考察。

アーレントは「全体主義」を大衆の願望を吸い上げる形で拡大した「政治運動」と捉えており、独裁政治や非民主主義(権威主義)とは異なり、大衆自身が個人主義的な世界で生きることに疲れや不安を感じ、積極的に共同体と一体化したいと望んだものとしています。

ユダヤ人という内なる異分子

近代国家の誕生で「反ユダヤ主義」が深刻化・先鋭化し、全体主義に繋がる過程を考察。

新約聖書によれば、ユダヤ人は神に選ばれた民でありながら、イエスを処刑したことで様々な制約を受け、結果的に汚れ仕事である金貸し業を請負った歴史的経緯があり、後にユダヤ人への憎悪・嫌悪感は文学作品(ヴェニスの商人)が描かれてる程に浸透。

19世紀ナポレオンのヨーロッパ侵略をキッカケに国民国家(文化的アイデンティを共有する団体)の意識が広がるも、異民族(異なる言語・宗教・習慣)がまとまるのは難しく、ユダヤ人陰謀説やドレフェス事件を例に、多民族が同一領土で一つにまとまっても、排除のメカニズムが働くことを指摘。

POINT国家を同質的なものにしようとすると、どうしても何かを排除するメカニズムが働く.

何かしら共同体に属していると、悪い事があっても「自分は悪く無い」と考えるのが人間の真理ですが、確かに日々の生活でも異分子を排除したとて解決されない問題は山程あるような気がします。

POINT他者との対比で強化された「同一性」の論理が国民国家を形成していった.

人種思想は帝国主義から生まれた

政治統一を成し遂げた西洋諸国が人種思想と民族ナショナリズムを背景に帝国主義化し、それが国民国家を解体させ、結果的に全体主義へ継承された過程を考察。

ローマ帝国は法を基礎付けにした国家形態であるので永続性があるけれど、近代の国民国家を同質的な国民をベースにした「閉じられた帝国」であるため、植民地を獲得しても見た目や言語も異なるので、仲間に出来ない被支配地の人々を治るため強権・圧政を敷きことごとく挫折。

POINT国民国家の枠組みから展開された帝国主義は、最初から大きな矛盾を孕んでいた.

イギリスに代表される海外帝国主義の産物である人種思想、進化論や優生思想、ドイツやロシアに代表される大陸帝国主義の礎となった民族的ナショナリズム…いくつもの要因が折り重なり、更には現代でもニュースでよく聞く移民問題が全体主義へと繋がったと考察。

人間は生まれた瞬間から人権を持っていると考えられますが、戦争や革命は無国籍者を大量に産み出し、国家は国民の利益を守るべく運営されているので、無国籍者は恩恵に預かれず、人権は万人にあることは幻想であり、国民をベースにした国家という枠組みも強固ではない事が露呈。

POINT国民国家をベースにした「資本主義」の発展が「帝国主義」政策へ繋がった.

そもそもの全体主義の起源を辿ると、帝国主義からストレートに繋がった訳ではなく、根底には同一性の論理があるというのがアーレントの結論。

大衆は「世界観」を欲望する

互いの領土を守ることで均衡を保ってきた国民国家も、民族的ナショナリズムが国民意識を侵食し、階級社会や資本主義経済の進展で崩壊、そんな国民国家を崩壊させたのが全体主義であるとの考察。

POINT階級社会に収まっていた人々が「大衆」が強い磁力を持つ「世界観」に吸い寄せられた.

国民国家における「市民」は自分たちの利益や、それを守るためにどう行動すれば良いか意識できるので、自分達の利益を代表する政党を選べるも、それに比べて「大衆」は自分にとっての利益が何か分からず、大衆にふさわしいと思ったのが「全体主義」で、全体主義を動かしたのは大衆自身。

労働社会、資本主義階級など所属階級がはっきりしていた時代であれば、自分にとっての利益や対立勢力の意識は容易ですが、どこにも属さない大衆はどうすれば良いか分からず、またメディアを通して聞かされる閉塞感から、政治に無関心になり、投票に行かない人の気持ちも分からなくはない。

本書中でもナチスドイツを例に、全体主義支配が人間の「自己」を徹底的に破壊すると指摘していますが、現代でもインターネットの発達で人間同士の繋がりが薄れ、個人がバラバラになり、ナチス同様に全体主義が再興する危険性があり、各個人がどう対処するかについて、安易に分かり易い説明を求めたり、唯一無二の正解を求めるのではなく、一人一人が試行錯誤することが大切だと。